体調管理は 難しい 3

薬の管理は 心の整頓のはず

 今日も朝から薬箱をひっくり返すほど探しまくった。目が覚めたら、左目の瞼が腫れて皮膚が荒れている。とりあえず目専用の洗浄綿で拭くが、ひりひりと痛みまで出てきた。どうしよう! 左目に眼帯が欲しかった。白内障で買わされた眼帯がどっかにあったはず・・・しかし片目を押さえて探すから余計見つからない。3つもある薬箱を全部開けても出てこない。ならばもう医者に行くしかない。診察券はすぐに出てきたが、診察開始時間まで眼帯を探してみよう、と取り掛かるが出てこない。そこで見つけたアレルギー剤、これで少し落ち着くかもしれないと思い取り出した。3種類も持っていて、一番弱いと思われるフェキソフェナジン塩酸塩錠を1錠飲み込む。

   まるで プラセボ効果 ?

 飲んで10分も経たないのに、痒みが消えた。目も開けられるようになった。そんなに即効性があったけ?と自分でも疑うぐらいの効果。もう医者に行くことは止めた。このコロナ禍、ネットで予約もできない所で、長時間狭い待合室で我慢することのほうが私のストレスになる。それにしてもこの症状の改善は、結局のところ精神的なものが大きかったことに気づく。

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椿模様の織物帯 壁に飾ってみた


     余裕ある人生 は どこに

 この3日間、衣類の整理をしていた。母や姉が残した着物が箪笥に眠っていて時折虫干しはしていたが、そのまま取っておくのはもう必要ないとこの歳で考えた。だから、リサイクルできるものと目で楽しむように分けてみることにした。やりだしたら半端ない多さに何度も中断して、やっと収納箱に入るほどになった。そのかわりかなりの着物を処分せざる得なかった。シミや襟、裾の汚れは、今更洗い張りに出しても仕方ないので諦め、残った着物を畳紙をはずし、桐の箪笥に縦並べにした。帯もしかり。

 母の着ていたものは思い出が多すぎて涙腺が緩んだし、織物や刺繍模様から細かい塵も舞っていた中作業を続けたから、目にとっては過酷だっただろう。母が亡くなってもう30年も経つのだから、今余裕ある時間の中で取り組むのは必然だ。でもこれほど時間がかかるとは思わなかった。退職してから何度も試みてはいた。しかし何度も挫折し、処分もできず、箪笥に眠っていた着物たち。退職して10年以上経った今、なんとか整頓できたような気がする。これは心の整理時間が必要だったということかもしれない。

 フルタイムで働いていた時なら、仕事量としては数日間で完了する。それが今や10年間かけて物の整理の仕方も変え、心の整理をしながら仕分けができたということである。

 そのかわり、昨日は重い物を運んだせいで腰が痛くなり、今日は目の痛みに襲われた。必ず何かしらマイナスも伴う仕事ぶり。心の整理にはつながったが、体調管理はもっと難しくなっているようだ。