終りのない 童話 1

沼の女王 エノーシカ

何てきれいな色! 

人々はその美しさを称えた。エノーシカは、沼を見下ろす丘に立ち、満面の笑みをたたえている。代々この沼を取り仕切る家に生まれ、思いのまま育ったかというとそうではない。彼女には、次の王にと父親に大切に扱われ、母親に溺愛されて育った兄がいた。しかし20歳を過ぎる頃、兄の行動に大きな変化が現れた。母親をまるで汚らはしい者のように扱い傍にも近づけなくなったのだ。そして妹を自分の召使のように扱った。結局親は大事な息子のために新たな家を造り、兄妹はそこに住むようになった。妹は毎日家に閉じこもる兄の面倒をみたが、我が儘はエスカレートしていく。それでも、兄の世話は貴女にしかできない大事な役割だと母親に諭され耐えた。エノーシカ自身も親たちもできない仕事をする自分に納得して、かいがいしく世話をした。しかしそのうち、彼女自身が病に侵された。

そこで一人のシャーマンに会いに行った。彼女はこの島の反対側にある入江でひっそりと暮らしていた。シャーマンは会うなり、こう言った。

あなたがすべきことでないことをしていることが、間違いの元。」

 エノーシカは褒めてもらえると思っていたが、シャーマンは、きっぱりとその役目はあなたではないと言い切った。納得できるものではなかった。私だからやれるのに!

しかし家に戻ると横暴な兄に帰りが遅いことを罵られ、エノーシカは気づいた。私は誰の為に山を越えてシャーマンに会いに行ったのだろうか。そして何より、私は何のために生まれてきたのだろう、と。

  この島はオルカン列島の端にあたり、マクーララ火山帯に属している。だから地盤の揺れは珍しいことではない。だがこの数カ月の揺れにはさすがに人々も動揺を隠せなくなっていた。下から突き上げるような揺れと、遠くから響く波動を感じるからだ。エノーシカはシャーマンに会った後、何度もこの美しく輝く青い沼を見下ろす丘にきていた。大きな青く輝く沼を見ていると、力が沸いてきた。私は私の力でこの沼を守り、島を維持していこう。じき、誰も私に文句をいう人はいなくなるだろう。そしてこの美しい沼を見るために大勢の人がやってくる。私はただここにいるだけでいいのだ。それが私の本当の役割なのだ。

  そしてエノーシカは、シャーマンに会った翌年、思わぬ事態が起きて変化を遂げる。

ノル山の噴火

 それはシャーマンに会ったときからちょうど1年後、3つ先のワングー島から森一番の勇者を招いたときから始まった。兄の友達としてやってきたその勇者を、エノーシカは、その美しい容姿で虜にした。そして家に住まわせワングー島に戻さなかったのだ。兄はもとより、親もその振る舞いを許さなかった。しかしこの間続いている激しい島全体の揺れが収まれば船を出して勇者を返せるし、エノーシカの気持ちも落ち着くであろうと思っていた。

  ところが未明に大きな噴煙と共にノル山から鋭い閃光が上がり大噴火が起きた。あっという間にノシャル島はマグマに呑まれて行った。村や畑を押し倒し、多くの人が巻き込まれてしまった。

 エノーシカは間一髪で勇者、コージンと共に助かった。しかし、あの兄もそして現王である親もマグマに呑まれてしまった・・・・。そして必然的に、エノーシカが女王となった。そこに身内をすべてなくした「悲劇の女王 エノーシカ」が誕生した。

  エノーシカは、さっそく自分のものになった島をできうる限り歩き回った。エメラルドグリーンの沼の状態が一番気がかりだった。しかしノル山の窪地にできていた大きな沼は半分ほど失われていたものの、エメラルドグリーンは沼の底に残って小さいながら輝いていた。

 エノーシカは、大きくまだ硫黄の臭いに満ちた大気の中で、天を仰いで言った。

「私の大事なあのエメラルドグリーンの沼を元どおりの大きくて美しい沼に戻してください。あれは私が先祖から受け継いだ沼です!」

声の限りに叫ぶが、噴煙の中に声は吸い込まれていってしまう。

最後にエノーシカは、こう言い放った。

「私は神の申し子、故にこのような仕打ちをするとはなにごとぞ!」

それでも天からは大小様々な火山岩が降ってくる。命すら失いかねない大きな火岩が頭の上を通り過ぎていった。エノーシカはこの災難をくぐりぬけていかなくてはならない。一生懸命島のために働いた。神が何もしないのなら、私が私の力でなんとしよう。誰一人文句はいえないだろう。今やエノーシカは誰をも怖れず、自分の力を発揮しているようにみえた。

エノーシカは悲劇の女王?

 それでもエノーシカは孤独だった。身内はもとより、ほとんどの従者を噴火で失ったうえ、生き残った夫は海ばかり眺めてはため息のつく人になっていた。昔のような勇者の面影はなく、優しいだけで頼りにはならなかった。相談しても返ってくる言葉は

「その通り」という一言だけ。

 エノーシカに頼れる人はいなかった。兄に耐え、父母の言いつけに従ってもいい事は何もなかった。友達も、気の毒にと心配はしてくれる人はいても、何の役には立たなかった。逆にエノーシカの勘の良さに、人々は助かっていた。種まきの時期も伝えたし、ノル山の噴火もエノーシカはあてた。頼れるのは自分だけ。自分の未来は自分で切り開ける。

 しかしある日、珍しく朝から雨が降っていた。コージンが空を見上げて何かを思い出したような顔で、雨にぬれていた。

「どうしたの?」と聞いても何も答えない。

そこで前に頼ったシャーマンを思い出した。また山を越えて会いに行こう。しかし折角辿り着いた玄関は閉ざされていて、一枚の布が貼られていた。

ここにおいでの皆さまへ

私は今修業の旅に出ています。

手漕ぎの船でオルカン列島をめぐります。

いつ帰ってこられるか、

帰ってこられないかもわかりません。

すべて神の御心次第です。

御用のある方は、祈ってください。

シャーマン NT

 

エノーシカは大きくため息をついた。自分が必要な時にこの島にいないなんて!

自分の役割を果たしているのに、噴火は止まないし、どうすればいいの?

何をすればいいのかぐらい いってほしいのに・・・・ 役 立 た ず ❕

 その声が届いたのか届かなかったのかわからないが、ノル山の噴煙は一層強まる。地割れが至る所に広がっていった。

 エノーシカは一旦家に戻ると、夫の故郷ワングー島に行くことを決心した。

ワングーの森で出会った女

 海を渡るには、丈夫な船が必要だった。自分たちの為、唯一残っている島一番の大きな樫の木を切り倒し、多くの人の手を借りて船に仕上げた。そして満月の夜、海風にのり3つ離れたワングー島を目指した。夜の海は静かで2人きりの時間は心和んだ。夫のコージンも、はやる気持ちを押さえて星を眺めている。2日目の夕、ワングー島の入り江に近づいた。エノーシカのノシャル島とは違って、ワングー島はうっそうとした森に包まれていた。2人はすぐに船を降りて、森を抜けコージンが育った村に入った。

 一人の女性が立って迎えてくれた。しかし女は目を伏せ、2人を見ようともしない。エノーシカも、この女がどういう女なのか思うこともなく通り過ぎたとき、コージンは、「ナーナ?」と言って振り返ったが、もう姿はなかった。森はひっそりと夜の闇に閉ざされていた。

 コージンは流れた時間が星の数ほどあったこと、森も家も同じようにあるのに、人々の姿もそして心も変わっていたことに気づいた。歳老いた犬だけがしっぽをふってくれたが、すでに親は亡くなり、兄弟もどこにいるのかさえわからなかった。

 歓迎も何もされないエノーシカは、酷くがっかりして、島を探索したらすぐにノシャルに戻ろうという。

「こんなに何もない島があるのね? あるのは森だけ。」

ノシャルのような、美しい沼も、噴煙上がる温泉も、豊かに実る果物も、美味しい魚もありゃしない。森の中はまっくらで、実るものは堅い木の実だけ。ただ一つ気に入ったのが、森の奥のボル湖だった。水はどこまでも透き通っていた。この水がノシャルにあれば、エメラルドの沼も再生されるのに・・・と思わず言葉にすると、聞いていたコージンは目を閉じた。

シャーマンの役目って 

 そんな時、あのシャーマンが同じこの島に来ているというのを聞きつけた。さっそくエノーシカは、呼び寄せて話を聞こうと思い使者を遣わしたが、返事がない。

シャーマンは、人の役に立つのが仕事なのに、何一つしないなんて!

この女王エノーシカが頼んでいるのに!

 シャーマンは、この時、既に島を去る準備をしていた。そして翌朝、オルカン列島の中でも一番小さなミドル島に向けて船を出した。しかしどういう訳かうねりが酷く、何度も波にのまれた。その度に水を掻きだし、困ったものだ、また魔の魂が迷い苦しんで海を荒らしている。・・・しかしこのうねりで、人の悪い思いを海が飲み込んでくれているんだろうね、すごい、すごい・・・とつぶやきながら、なんとか船を漕ぎ続けた。

 この島は海と地の境にある島で、天と地の境の島でもある、異次元の世界を保有する珍しい島だった。だから人生の最後に寄る島だと思っていた。まだシャーマンは、それほど年老いてはいなかったが、エノーシカの強い想いにこの島に来ることになってしまったようだ。そしてどうにか岸壁にたどり着き、ふらつきながらも船を降りた。

 やれやれ、シャーマンはやっとでこの島に渡れたことが嬉しくて、久しぶりにお酒を飲んで寝た。夜通し、雷鳴が響いていたように思う。夜中降った雨は、朝にはすっかり上がり、海から吹き抜ける風の声で目が覚めた。隣には昔飼っていた猫が寝ている。あらら、これは天国? それとも? と、目を凝らすと、雲の間から地上が見えた。なるほど、これがミドル島というものなのか!

 さらに目を凝らすと、遠くノシャル島に戻ったエノーシカが重い病に罹って横たわっているのが見えた。エメラルドグリーンのあの小さくなったが青い沼も見える。

きっとエノーシカの亡骸は「沼の女王」としてあの沼に眠るのだろう

 そうシャーマンの私は、この小さなミドル島、海と地、地と天の境の島で、あと一つでも良い仕事ができたらいいのだが・・そう思いながらうとうとした。目覚めると朝の陽ざしが眩しく空は金色に輝いていた。

f:id:Apricot2020:20210214225341p:plain