託されたもの?

 今月は亡くなった姉の誕生月である。子供の頃は、姉の誕生日はいつも五月晴れで、苺のケーキが楽しみだった。今日も晴れて気持ちよい青空に初夏の香りが漂う。姉の好きだった百合の花を仏前に供え、隣の家からいただいた美しく且つしっかりした薔薇の花をテーブルに飾った。ふと、姉が残したものは何だったのだろうか?と思った。

 姉の美感覚は優れていて、書画、骨董、茶道、俳句と次々と形にしていたように思う。姉は早く結婚し、4人も子供をもうけて忙しくしていたから、私とはあまり交わらない世界で生きていた。そのかわり、幅広い友人関係を持っていたのだろうと思う。そんな姉だったが、40代で夫を亡くして夫が残した仕事を継いだ。専業主婦だった姉が、そのもてる才を発揮しだして輝いていた。しかしそれも10年も経たずに姉もまた、50代前半の生涯を閉じようとしていた。私は必然的に姉の命の瀬戸際に、臨むことになった。

 そしてこの事態に直面して、私の生き方も変わったのかもしれない。それは何とも不思議で、今もってまるで映画のように思い出される22年前のお正月の2日間の出来事である。

死の間際の言葉

 半年前にみつかった肺がんで、余命6ヶ月の宣告を受けて姉は7か月目に入ってベットの中にいた。手術以外のあらゆる手段を試みたが、結果ホスピスのベットで熟睡している姉。私は姉の子供たちに医師からの重い報告をせざる得なかった。そして年末から年始にかけて、私たちは交代に付き添った。皆が揃った大晦日には恒例のビンゴ大会を病室で開催した。なんと優勝者は姉で確か新しいダイヤりーを受け取っていた。私たちも全員、このことを忘れているものはないだろう。しかし命の終末は確実に近づいていた。新年が明け、私は夕飯を食べにだした甥たちのかわりに文庫本を1冊持ち寄り、ベットのすぐ横の椅子に座って読んでいた。暗がりの中で姉が何かつぶやこうとしたことに気づき、口元に耳を傾けると、

「伊勢の水に纏わる和歌を詠んでいる女の人が、あなたと私のご先祖なんだって。5首、5首詠んでいるって。」という。そしてまた眠りについてしまった。・・・・・・・・・・????私は茫然としながらも、短い言葉を反復した。間もなく交代が来たので私は帰宅した。そしてすぐさま、この訳の分からない言葉に取り掛かかってみた。まず「百人首」の箱を取り出した。そして書庫から万葉集古今和歌集などをめくってみた。しかし膨大な句の中から、女性で、伊勢の水に纏わる歌、という検索にすぐに引っ掛かるものがでるはずはない。今のようにスマホ一つで検索できる時代ではない。また元旦の翌日2日の夜だったから、当然公共図書館大学図書館も開館は早くてあと2日後

f:id:Apricot2020:20210509121606j:plain


過ぎだろう。何か手はないかと思いめぐらしてたどり着いたのが蔵書家の友人Kさん。彼女なら「国歌大観」を持っているかもしれないと思った。お正月と言えども、この命の瀬戸際の言葉、聞いてもらえるかもしれない、と思い電話した。友人は確かに全5巻もある「国歌大観」を持っていて、そして調べてみると言ってくれた。そしてなんと翌朝、長いFAXが送られてきて驚く。

伊勢の御(きみ)の家集「伊勢集」483首のうち、5首が水に纏わる和歌があるという。5枚にわたる用紙の中に、線を引いた5首の「伊勢の水に纏わる和歌」が浮かび上がった。伊勢、百人首の選ばれている伊勢の御!!

もう、私はただただ茫然としながらも、その長いFAXを丸め、病院に向かった。すでに姉は意識なく眠っていたが、私は耳元に報告した。

翌朝の10時31分、姉は逝った。

 あれから22年、私は予想もしないことを第2の人生として取り組んでいる。このブログもそうだが、すべて姉のあの最後の一言から動き出したような気がする。

なんとも不思議な縁の話である。

 

 

 

さくら みた ?

f:id:Apricot2020:20210401113208j:plain


犬と桜を語る?

 桜を見に行くための準備に追われていた数日前、車で大通りを直進するために、信号で真ん中の車線に止まった。隣は右折車線で私の車の少し前に大型車が止まっていた。いきなり後部座席の窓が開いたと思ったら、なんとゴールデンリトリバーの大きな顔が出てきた。思わず

「あら、ゴルちゃん、さくら みた?」と聞いた。

犬は目を少し彷徨わせ、多分足も少しジタバタした感じで私を見つめる。

「アッ、これから行くのね?」

犬の目がぱっちりして、なんだか喜んでいるような気がした。

前を見ると信号が青に変わった。

「じゃぁ、楽しんでね!」

車はそれぞれの方向に進んで行った。

 

あれ? 私がオカシイのか? 相手は犬だよ。

何で、話しかけたの? 日本語で返せないんだから、犬は困っていたじゃない。

それより、運転者は、私をみてしまったかな? なんてアホな奴だって!

まあ、二度と合わないし、いいか。

それにしても、あの犬、私の事どう思っただろうか?

満開の桜の下で

 それからしばらくの間に桜は満開になり、私たちもそこそこの自粛の中で、花見を楽しんだ。そして今や小さくて美しい緑の葉が所々に出てきて、散る花を守っている。今年の桜は宴会と無縁になり、純粋に花を愛でているような気がする。

あの犬も、あの家族もきっとそうしただろう。多くの人がそうできただろう。

 一昨日も、桜御膳を作って高校時代の友人にふるまった。桜御膳とは名ばかりで、赤の漆盆に、カルシウムが足りなくなった、70歳代の私たちにふさわしい、小魚や豆腐類を小皿に盛りつけただけの膳である。それでも、人を招くことは、結構気を使い、時間をとってのおもてないしだった。友人は姉がほとんど袖を通していない美しい正絹の着物や母の帯を持って帰った。私はたとう紙に包んでから、渡したが、たくさんあって困っていたのにいざ譲るとなると心残りが出るのが不思議だった。ベランダにあった珍しい白の花いっぱいのローズマリーととツルーラベンダーの鉢植えもビニールに包んであげた。

 朝5時起きで支度して、丸一日の散策と接待に疲れたものの、その後気持ちよく1000M泳げたから、きっと気分が良いのだ。

 まだ、遠く丘の上の緑の木々の間から美しい色を広げる桜が見える。心のふるさとのようなこの景色が私は何より好きでたまらないが、それも間もなく緑一色になるだろう。

 この後は一昨日花皿に盛った、さくら色の花たちが、私の心を慰めてくれている。

 

 

 

老人と桜

  夢伝言 

の枝一本を戴きて、空いた酒瓶に挿す。

桜の蕾はまだ堅いものあるものの、わずかに咲き出した

小さな花びら愛おしく、小枝を手前に添える。

枝折りし際にこぼれし花びら、酒杯の横に散らばりて 趣。

側には、みたらし団子二本 盛られた皿ひとつ。

 

ふと見上げると、一筋の光あり、目凝らすと、

酒杯の前に座り込んでいる 一人の老人。

どちら様 ? との問いに

三陸のとある山裾に住んどった という。

知らぬまま あの世なりという所にいて、何か心残りあるのか

今ここにおるようだという。

思わず、心残りとは? と重ねると

この歳まで生きながらえた者 お恥ずかしい限りじゃが、

桜の花びらと酒の香りに誘われたのか・・・いつの間に

ここに来ていたように思う、という。

思い返せば、明日は三月十一日、東北大震災から十年目・・

ひょっとして・・あの震災で・・と問いかけて 顔を上げると

すでに杯を飲み干し、団子を頬張ったのであろうか・・

その姿はすでになかった。

あふれる涙を押さえて、天を見上げる。

 

また、いらしてください、と 精一杯の声をかけた。

 

2021・3・10

f:id:Apricot2020:20210310112535j:plain

 

終りのない 童話 1

沼の女王 エノーシカ

何てきれいな色! 

人々はその美しさを称えた。エノーシカは、沼を見下ろす丘に立ち、満面の笑みをたたえている。代々この沼を取り仕切る家に生まれ、思いのまま育ったかというとそうではない。彼女には、次の王にと父親に大切に扱われ、母親に溺愛されて育った兄がいた。しかし20歳を過ぎる頃、兄の行動に大きな変化が現れた。母親をまるで汚らはしい者のように扱い傍にも近づけなくなったのだ。そして妹を自分の召使のように扱った。結局親は大事な息子のために新たな家を造り、兄妹はそこに住むようになった。妹は毎日家に閉じこもる兄の面倒をみたが、我が儘はエスカレートしていく。それでも、兄の世話は貴女にしかできない大事な役割だと母親に諭され耐えた。エノーシカ自身も親たちもできない仕事をする自分に納得して、かいがいしく世話をした。しかしそのうち、彼女自身が病に侵された。

そこで一人のシャーマンに会いに行った。彼女はこの島の反対側にある入江でひっそりと暮らしていた。シャーマンは会うなり、こう言った。

あなたがすべきことでないことをしていることが、間違いの元。」

 エノーシカは褒めてもらえると思っていたが、シャーマンは、きっぱりとその役目はあなたではないと言い切った。納得できるものではなかった。私だからやれるのに!

しかし家に戻ると横暴な兄に帰りが遅いことを罵られ、エノーシカは気づいた。私は誰の為に山を越えてシャーマンに会いに行ったのだろうか。そして何より、私は何のために生まれてきたのだろう、と。

  この島はオルカン列島の端にあたり、マクーララ火山帯に属している。だから地盤の揺れは珍しいことではない。だがこの数カ月の揺れにはさすがに人々も動揺を隠せなくなっていた。下から突き上げるような揺れと、遠くから響く波動を感じるからだ。エノーシカはシャーマンに会った後、何度もこの美しく輝く青い沼を見下ろす丘にきていた。大きな青く輝く沼を見ていると、力が沸いてきた。私は私の力でこの沼を守り、島を維持していこう。じき、誰も私に文句をいう人はいなくなるだろう。そしてこの美しい沼を見るために大勢の人がやってくる。私はただここにいるだけでいいのだ。それが私の本当の役割なのだ。

  そしてエノーシカは、シャーマンに会った翌年、思わぬ事態が起きて変化を遂げる。

ノル山の噴火

 それはシャーマンに会ったときからちょうど1年後、3つ先のワングー島から森一番の勇者を招いたときから始まった。兄の友達としてやってきたその勇者を、エノーシカは、その美しい容姿で虜にした。そして家に住まわせワングー島に戻さなかったのだ。兄はもとより、親もその振る舞いを許さなかった。しかしこの間続いている激しい島全体の揺れが収まれば船を出して勇者を返せるし、エノーシカの気持ちも落ち着くであろうと思っていた。

  ところが未明に大きな噴煙と共にノル山から鋭い閃光が上がり大噴火が起きた。あっという間にノシャル島はマグマに呑まれて行った。村や畑を押し倒し、多くの人が巻き込まれてしまった。

 エノーシカは間一髪で勇者、コージンと共に助かった。しかし、あの兄もそして現王である親もマグマに呑まれてしまった・・・・。そして必然的に、エノーシカが女王となった。そこに身内をすべてなくした「悲劇の女王 エノーシカ」が誕生した。

  エノーシカは、さっそく自分のものになった島をできうる限り歩き回った。エメラルドグリーンの沼の状態が一番気がかりだった。しかしノル山の窪地にできていた大きな沼は半分ほど失われていたものの、エメラルドグリーンは沼の底に残って小さいながら輝いていた。

 エノーシカは、大きくまだ硫黄の臭いに満ちた大気の中で、天を仰いで言った。

「私の大事なあのエメラルドグリーンの沼を元どおりの大きくて美しい沼に戻してください。あれは私が先祖から受け継いだ沼です!」

声の限りに叫ぶが、噴煙の中に声は吸い込まれていってしまう。

最後にエノーシカは、こう言い放った。

「私は神の申し子、故にこのような仕打ちをするとはなにごとぞ!」

それでも天からは大小様々な火山岩が降ってくる。命すら失いかねない大きな火岩が頭の上を通り過ぎていった。エノーシカはこの災難をくぐりぬけていかなくてはならない。一生懸命島のために働いた。神が何もしないのなら、私が私の力でなんとしよう。誰一人文句はいえないだろう。今やエノーシカは誰をも怖れず、自分の力を発揮しているようにみえた。

エノーシカは悲劇の女王?

 それでもエノーシカは孤独だった。身内はもとより、ほとんどの従者を噴火で失ったうえ、生き残った夫は海ばかり眺めてはため息のつく人になっていた。昔のような勇者の面影はなく、優しいだけで頼りにはならなかった。相談しても返ってくる言葉は

「その通り」という一言だけ。

 エノーシカに頼れる人はいなかった。兄に耐え、父母の言いつけに従ってもいい事は何もなかった。友達も、気の毒にと心配はしてくれる人はいても、何の役には立たなかった。逆にエノーシカの勘の良さに、人々は助かっていた。種まきの時期も伝えたし、ノル山の噴火もエノーシカはあてた。頼れるのは自分だけ。自分の未来は自分で切り開ける。

 しかしある日、珍しく朝から雨が降っていた。コージンが空を見上げて何かを思い出したような顔で、雨にぬれていた。

「どうしたの?」と聞いても何も答えない。

そこで前に頼ったシャーマンを思い出した。また山を越えて会いに行こう。しかし折角辿り着いた玄関は閉ざされていて、一枚の布が貼られていた。

ここにおいでの皆さまへ

私は今修業の旅に出ています。

手漕ぎの船でオルカン列島をめぐります。

いつ帰ってこられるか、

帰ってこられないかもわかりません。

すべて神の御心次第です。

御用のある方は、祈ってください。

シャーマン NT

 

エノーシカは大きくため息をついた。自分が必要な時にこの島にいないなんて!

自分の役割を果たしているのに、噴火は止まないし、どうすればいいの?

何をすればいいのかぐらい いってほしいのに・・・・ 役 立 た ず ❕

 その声が届いたのか届かなかったのかわからないが、ノル山の噴煙は一層強まる。地割れが至る所に広がっていった。

 エノーシカは一旦家に戻ると、夫の故郷ワングー島に行くことを決心した。

ワングーの森で出会った女

 海を渡るには、丈夫な船が必要だった。自分たちの為、唯一残っている島一番の大きな樫の木を切り倒し、多くの人の手を借りて船に仕上げた。そして満月の夜、海風にのり3つ離れたワングー島を目指した。夜の海は静かで2人きりの時間は心和んだ。夫のコージンも、はやる気持ちを押さえて星を眺めている。2日目の夕、ワングー島の入り江に近づいた。エノーシカのノシャル島とは違って、ワングー島はうっそうとした森に包まれていた。2人はすぐに船を降りて、森を抜けコージンが育った村に入った。

 一人の女性が立って迎えてくれた。しかし女は目を伏せ、2人を見ようともしない。エノーシカも、この女がどういう女なのか思うこともなく通り過ぎたとき、コージンは、「ナーナ?」と言って振り返ったが、もう姿はなかった。森はひっそりと夜の闇に閉ざされていた。

 コージンは流れた時間が星の数ほどあったこと、森も家も同じようにあるのに、人々の姿もそして心も変わっていたことに気づいた。歳老いた犬だけがしっぽをふってくれたが、すでに親は亡くなり、兄弟もどこにいるのかさえわからなかった。

 歓迎も何もされないエノーシカは、酷くがっかりして、島を探索したらすぐにノシャルに戻ろうという。

「こんなに何もない島があるのね? あるのは森だけ。」

ノシャルのような、美しい沼も、噴煙上がる温泉も、豊かに実る果物も、美味しい魚もありゃしない。森の中はまっくらで、実るものは堅い木の実だけ。ただ一つ気に入ったのが、森の奥のボル湖だった。水はどこまでも透き通っていた。この水がノシャルにあれば、エメラルドの沼も再生されるのに・・・と思わず言葉にすると、聞いていたコージンは目を閉じた。

シャーマンの役目って 

 そんな時、あのシャーマンが同じこの島に来ているというのを聞きつけた。さっそくエノーシカは、呼び寄せて話を聞こうと思い使者を遣わしたが、返事がない。

シャーマンは、人の役に立つのが仕事なのに、何一つしないなんて!

この女王エノーシカが頼んでいるのに!

 シャーマンは、この時、既に島を去る準備をしていた。そして翌朝、オルカン列島の中でも一番小さなミドル島に向けて船を出した。しかしどういう訳かうねりが酷く、何度も波にのまれた。その度に水を掻きだし、困ったものだ、また魔の魂が迷い苦しんで海を荒らしている。・・・しかしこのうねりで、人の悪い思いを海が飲み込んでくれているんだろうね、すごい、すごい・・・とつぶやきながら、なんとか船を漕ぎ続けた。

 この島は海と地の境にある島で、天と地の境の島でもある、異次元の世界を保有する珍しい島だった。だから人生の最後に寄る島だと思っていた。まだシャーマンは、それほど年老いてはいなかったが、エノーシカの強い想いにこの島に来ることになってしまったようだ。そしてどうにか岸壁にたどり着き、ふらつきながらも船を降りた。

 やれやれ、シャーマンはやっとでこの島に渡れたことが嬉しくて、久しぶりにお酒を飲んで寝た。夜通し、雷鳴が響いていたように思う。夜中降った雨は、朝にはすっかり上がり、海から吹き抜ける風の声で目が覚めた。隣には昔飼っていた猫が寝ている。あらら、これは天国? それとも? と、目を凝らすと、雲の間から地上が見えた。なるほど、これがミドル島というものなのか!

 さらに目を凝らすと、遠くノシャル島に戻ったエノーシカが重い病に罹って横たわっているのが見えた。エメラルドグリーンのあの小さくなったが青い沼も見える。

きっとエノーシカの亡骸は「沼の女王」としてあの沼に眠るのだろう

 そうシャーマンの私は、この小さなミドル島、海と地、地と天の境の島で、あと一つでも良い仕事ができたらいいのだが・・そう思いながらうとうとした。目覚めると朝の陽ざしが眩しく空は金色に輝いていた。

f:id:Apricot2020:20210214225341p:plain

 

食生活の見直し

白内障の手術と加齢

 70才を越えて、身体も心も疲弊してきていること感じるこの頃。友人の多くは元気はつらつに見えるから、なんだか取り残された感じで、自分の健康度を推し量る。一昨日も、結局眼医者に行き、涙腺の通し施術をしてもらった。涙が溢れることは何年も前からの症状で、ラクリミンという流涙症治療点眼薬を投薬していたが、改善されないまま白内障の手術を受けた。視力が回復すれば良くなるのではという期待もむなしく、右目から出る涙をこするために、細菌が入り瞼が腫れたりが続き視力も悪くなってきたように思えた。確かに検眼で右目は0.4まで落ちてしまったという。医師は手術後の目自体の状態は悪くないので様子をみましょうという。まだ手術から3カ月しか経たないのに、こんなに視力が落ちるなんて何十万もかけたのに‥と絶句。一昨年白内障手術をした友人も、2度できる手術ではないのにあっという間に戻っていくから、もうじきまたメガネの生活よ、と笑っている。半永久的とは思わなかったが、2年でこの状態とはどういうことか。目の組織自体が老化してはどうしようもないということか。

生活の見直し 第一歩

f:id:Apricot2020:20210130115109j:plain

 気を取り直し、今私ができることから始めてみようと思う。そこで一番大切な、食生活の改善に取り組みたい。

 しかし人は苦手なものはまず購入さえしないから、同じメニューの料理しか作らないし、作れない。ましてや歳をとると、食べたいものでなくては口にさえしたくなくなる。

そこで無理しても仕方ないので、とりあえず1週間食べたいものを買って作り、メインの昼食をカメラに取り込んでみた。ところが、素人の悲しさ、写真では素材も料理名すら良くわからないフォトで、しかも似たようなものを多くとっていることだけがわかった。

 一人暮らしになって、こんなに同じようなものを食べているとは思わなかった。誰も文句をいう人がいないということは、気づかないことでもある。ため息とともに、これでは骨粗しょう症になっても仕方ないと思った。

 ようし!もう少しマメに献立、主の素材、カルシウム推測量ぐらい記入してみよう、いつまでできるかは別としてやれる日は記入する、ならどうだろう。あ~~先がないのに、こんな程度の目標を掲げる私。情けないではなく、これが今の自分を知る事、と割り切ろう。

体調管理は 難しい 3

薬の管理は 心の整頓のはず

 今日も朝から薬箱をひっくり返すほど探しまくった。目が覚めたら、左目の瞼が腫れて皮膚が荒れている。とりあえず目専用の洗浄綿で拭くが、ひりひりと痛みまで出てきた。どうしよう! 左目に眼帯が欲しかった。白内障で買わされた眼帯がどっかにあったはず・・・しかし片目を押さえて探すから余計見つからない。3つもある薬箱を全部開けても出てこない。ならばもう医者に行くしかない。診察券はすぐに出てきたが、診察開始時間まで眼帯を探してみよう、と取り掛かるが出てこない。そこで見つけたアレルギー剤、これで少し落ち着くかもしれないと思い取り出した。3種類も持っていて、一番弱いと思われるフェキソフェナジン塩酸塩錠を1錠飲み込む。

   まるで プラセボ効果 ?

 飲んで10分も経たないのに、痒みが消えた。目も開けられるようになった。そんなに即効性があったけ?と自分でも疑うぐらいの効果。もう医者に行くことは止めた。このコロナ禍、ネットで予約もできない所で、長時間狭い待合室で我慢することのほうが私のストレスになる。それにしてもこの症状の改善は、結局のところ精神的なものが大きかったことに気づく。

f:id:Apricot2020:20210126105848j:plain

椿模様の織物帯 壁に飾ってみた


     余裕ある人生 は どこに

 この3日間、衣類の整理をしていた。母や姉が残した着物が箪笥に眠っていて時折虫干しはしていたが、そのまま取っておくのはもう必要ないとこの歳で考えた。だから、リサイクルできるものと目で楽しむように分けてみることにした。やりだしたら半端ない多さに何度も中断して、やっと収納箱に入るほどになった。そのかわりかなりの着物を処分せざる得なかった。シミや襟、裾の汚れは、今更洗い張りに出しても仕方ないので諦め、残った着物を畳紙をはずし、桐の箪笥に縦並べにした。帯もしかり。

 母の着ていたものは思い出が多すぎて涙腺が緩んだし、織物や刺繍模様から細かい塵も舞っていた中作業を続けたから、目にとっては過酷だっただろう。母が亡くなってもう30年も経つのだから、今余裕ある時間の中で取り組むのは必然だ。でもこれほど時間がかかるとは思わなかった。退職してから何度も試みてはいた。しかし何度も挫折し、処分もできず、箪笥に眠っていた着物たち。退職して10年以上経った今、なんとか整頓できたような気がする。これは心の整理時間が必要だったということかもしれない。

 フルタイムで働いていた時なら、仕事量としては数日間で完了する。それが今や10年間かけて物の整理の仕方も変え、心の整理をしながら仕分けができたということである。

 そのかわり、昨日は重い物を運んだせいで腰が痛くなり、今日は目の痛みに襲われた。必ず何かしらマイナスも伴う仕事ぶり。心の整理にはつながったが、体調管理はもっと難しくなっているようだ。

 

 

体調管理は 難しい 2

骨粗しょう症 に 片足突っ込んだ

 大腿骨の測定値は、今まさに骨粗しょう症のレッドゾーン入りかけていた。腰椎は骨量減少のイエローゾーンに入ったところか。判定基準は、若年成人の80%が正常、70~80%が骨量減少。70%未満が骨粗しょう症だという。若い時の7割の強さしかない身体の屋台骨になったということだ。ちなみに昨日紹介したフォトで、右側のグラフは経過履歴なのだが、引っ越しで同じ病院に罹れなかったので、今回と同じデータが載っている。そこで10前のデータ(同じデキサ法)を引っ張り出してみた。腰椎は正常範囲だったが、大腿骨は骨量減少のイエローゾーンにしっかり入っていた。しかし、60代の私は安易に考えていて、歳相応だと楽観して、何も対策をしてこなかったのだ。

骨折は やはり 怖い

 去年のコロナ禍で、友人たちが何人も骨折したことを思い出した。我が家も、86才になる姉が大腿骨を骨折。なんと10日間、足を宙づりにしたまま手術を待った。見るのも辛く、何軒も病院をあたったがすぐに手術ができるところはなく(コロナ禍の上連休だった)また移動でリスクがあることを考えて我慢した。

 あれからもうじき1年経つが、スタスタ歩いていた人が車いす生活になった。友人たちは手・腕が多いのだが、治りの悪さに閉口している。さらにコロナ禍では外に出るのも怖く、体力も気力も戻りづらいようである。

f:id:Apricot2020:20210120091022j:plain

骨をよく見よう

スポーツクラブに 行っているだけでは ダメだった

 私は長年スポーツクラブに入っていた。40代は仕事が忙しくてお風呂代わりに利用。50代は好きな時プールで泳いでストレスを流していた。60代になって、今風の泳ぎを習ったり時々ヨガ風のスタジオレッスンも出たおかげで、身体があまりに硬いことに気づいた。だからあんなに嫌いだったジムにもちょこっと行ってマシンを使い、ストレッチもしてきたつもりだった。そこでBMI(体重÷身長÷身長)肥満度は確かに減ったが、減ったのに、お腹周りだけはしっかり残っている。良く言う浮き輪状態。有名クラブのようなスマートな減り方にはなっていない。だから余計に、美しいビキニ姿の前にあったブヨブヨ脂肪はどこにいったの? といつも不思議に思う。

ボデイ チェック

 昔からスポーツクラブでは、体力測定、形態測定といった観点の記録を測定していたが、最近は体組織測定である。ちなみに私の記録では2005年ぐらいからのが残っている。そこで推定骨量の数字の変化を見てみた。2.4㎏から徐々に下がってこの数年2.1㎏。う~~ん、やっぱり減っていたんだ。

 自分としては、仕事も、家事も、遊びもバランスよくやってきたつもりだったが、もう少し内容を見直すしかないのかもしれない。そためには心身の状態を再チェックして、何が足らないのか考えよう。一番自分で取り組みやすいのが食生活だろう。そこでこのブログを機に、なるべく記録していこうと思う。