密 と 孤

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正月の 花

 多くの家が何らかの花を飾る正月。松と大菊の他、最近はカサブランカや蘭なども組み入れて華やかさを演出する。我が家もささやかではあるが、その中でも手ごろな花一式を年末に購入して飾った。きれいな包装紙をほどいて花瓶に入れると、値段の割に少し間が抜けていた。何より、菊に色のスプレーを掛けてあって、クリスマスならいざ知らず、その人工的な色合いが我が家の正月にはあまりマッチしていなかった。それでも慌ただしい年末に花を生ける心は(我が家は単に花瓶に入れるだけなのだが)なにかしら感慨深い。昔を思い出した。大晦日の前、家の者がそれぞれの役目で動いていた時代。父は神棚と、外周りを担当していたと思う。母はやはり御節作り。姉は風呂場掃除だろうか。私はたいした役割もなく母の手伝いを申し出ると、母は台所から出てきて、私の前で花を活けだした。母は古流の流儀で手に取った花をなんとも自然に器に置いていく。その手際よさ、見る見るうちに花と枝が組み合わされて器に溶け込んでいく様に不思議の心持で見ていた。母が晩年になって我が家に同居した時も、やはり年末の生け花は、母の最後の手直しで完了となった。花の傾き一つで花が生きること、最後まで手を抜かぬ母の姿勢。何とはなしに見ていたのだろう。私は古流はもちろん、形にはまるのが嫌いだからという理由で、いわゆる花嫁修業らしきものはせず大人になった。その私が正月前になると、母と同じことを、父の替わりの事を自分がすることになるとは面白い。

名残り を 楽しむ

 さて正月も終わり、暖房のきいたリビングに置いていた花を片づけた。まだ青さがしっかり残る松と、健気に咲いている小菊、赤々と実をつけた万両が残っていた。そこでクリスマスで使用した月桂樹の枝とコラボの小花瓶を作ってみた。なんだか去年のワイワイ騒げなかった寂しいクリスマスの名残りと、コロナ自粛の門松の組み合わせは、コロナ時代に生き残る<孤>の小さな形にみえた。

 そこでもう一つ、作ってみた。<密>の花重箱。

 正月に戴いた万年鮑、とこぶしの貝殻を敷き、家の周りの常緑樹の上にもう花びらが落ちそうな白のラナンキュラスと万両の赤実を角皿に入れてみた。密の花重箱の出来上がり。どれも正月の残り花たちだが、なんだか楽しそうではないだろうか。そう、人はワイワイするのも好きなんだと思う。孤も大事、密も好き、我が儘な人間の習性を、正月の花から感じる一日の始まり。