体調管理は 難しい

今日の体調

 ブログをはじめて、2日目。もう何を書こうかと思う。そこで朝目覚めて一番最初に感じたこと、自身の体調の事だと思った。コロナ蔓延の中、医療従事者に敬意を表しつつ、なおかつこんな自分がいること、正直に書いてみよう。

 まず、自身が一番驚いていること、それはこの歳になって自分がビビリ屋でなってしまったことに気づいたことかもしれない。若い頃は気にもしなかったことでも、妙に不安になって増長したのようにも思う。狭いところはもちろん、動かないでください、と一言言われただけで、身体が硬くなり、心が動揺し、動いてしまうかもしれないと不安になる。だから歯医者で短時間で済むレントゲンを撮るのさえ、躊躇った。このため、医者は気を利かして?撮らないで歯を削ったら、削りすぎてしまって歯は使えないものになってしまった。高い代償だった。この歳でこんなことで自歯を失うなんて・・・でも、決して医者は削り過ぎたとは言わず、高額なセラミック代を平然と請求し、はては気にし過ぎだ、歯の周りを磨きすぎたのがいけない、などと文句を言うから、1年の保証を無視して病院を替えた。

 次の馬鹿げた経験は、背中から手にかけて鋭い痛みに耐えられず通院すると、医者はレントゲンで頚椎症と判断したが、念のためMRIを撮りましょうという。3年前も同じような症状でレントゲン、MRIを撮っていて、MRIの音と閉鎖性に心臓が飛び出すほど苦悩したことを伝えて断ると、「それなら神経内科ですね。」と平然と言う。なるほど、そうですか・・・前もMRIを撮っても、何も変わらず同じ薬を投薬されただけだった。これ以上辛い思いをしたくないと判断。「わかりました。」とこちらも平然と断って病院をあとにした。2度とこの医院には行かない。

70才台の医者のかかわり方って

 これらの経験から、医者へのかかわり方に迷いが出た。そもそも医者にかからなかった人間が、老齢になりかかる必要が出た時、信頼できる主治医がいない。そして症状も様々でるので、かかるべき病院はあっちこっち。結局行くのも煩わしくなり、近くの気休めの診療を望むか、我慢してどこにも行かないことにするか、どっちかしかないのだ。しかし60代ならそれで済んだが、70を越えたら済まなくなったのが実情だ。痛み、辛さ、日常の生活ができなくなれば、やはり薬の処方ができる病院に頼るざるえない。しかも検査なくして診察なしの医療では、ビビり屋は対象にならないから、今から覚悟するしかないのだ。よって覚悟できる意思があるうちは、まだ病院にはかかれない。でもこんな人間がコロナになったら、どんだけ!だから、ならないよう、最大の注意で今日も暮らそう。デキサ測定はこんな私にも優しい検査なので受けた。結果はがっくり。

f:id:Apricot2020:20210119105100j:plain